山下達郎が三代目柳家三亀松になり損ねた噺
さだまさしさんの新刊撮影。事務所の会議室にスタジオ機材を組む。
やばい、やんちゃのお題。
撮影中にエノケンの名前を出す。撮影後の歓談、「エノケンねぇ」。ちょうど浅草東洋館の密着撮影をしたばかりであり、また戦前戦後の浅草芸人の興味も伝える。寄席好きで色物も好き、憧れの芸人に三味線漫談の初代柳家三亀松(みきまつ)の名を口にする。
「古いの知ってるねぇ」。
「いやん、うふ、ばか~ん、の間とか、都々逸が好きなんです」
艶笑でいて粋な漫談の魅力にはまったというと、
「三亀松。助平だったよねぇ。助平といえば圓生も文楽も助平だった」
「黒門町の師匠もですか」
「そういえば稲荷町の師匠の家を訪ねたことがあるよ、いつだったけかなあ」
「木久扇師匠は寄席では古典はやらないんですが、それでもまた「笑点」のぬけた設定とも違って、いつもご自分の師匠、林家正蔵の声帯模写、物真似をやるんです。稲荷町の貧乏長屋の暮らしぶりを。あれは伝承の役目を意識しているんでしょうね」。
さださん、ここで八代目正蔵のしわがれてカクシャクとしながらよろめく声帯模写。
「うまいですねぇ(感嘆)」
「ほんとはおれ、落語家になっていたかもしれない」。
思わぬところで芸人談義に花が咲く。うれしくも機材撤収の手を早める。 すると、
「知ってる?山下達郎が三代目柳家三亀松になり損ねた噺」
「え、いや、聞いたことがありません」
「子どもの頃、親戚の叔父さんが達郎を三亀松に引き合わせて、弟子にしてやってくれと頼んだそう。彼ももしかしたら三味線漫談をやっていたかもしれないね」 「なり損ねた噺」という言い回しがしゃれていて、人生の「もし」をほんの少しいわくありげに軽妙に話す語り口が何とも云えない。 そんなこともあったのか。 初代三亀松の“艶”のある声音と山下達郎の“色”の声色。男の声音、粘質な癖になるフェロモンの系譜。関心人物の点が線で結ばれ、靄の中から視界がひらけたかのように前頭葉が気持ちよくなった。
後日事務所より連絡あり。写真をファン会報誌、CDブックレット用に買い取って頂く。 冥利に尽きる。