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大人の健康遊具⑨「夜景と夜警」

工場の夜景はきれいだ。三菱ガス化学の分析センター。建て替えたばかりの工場の非常階段が浮かび上がる。無機質ゆえに温かみを感じる反転した感情世界。男は夜中、きまって鉄棒を握りながら真正面にこの光景を眺める。周囲は東京理科大、マンション群に作り替えられた新興地帯、幅の広いジョギングコースも兼ねた歩道が整備されている。

その一角の公園に立ち寄る。いつも高校生くらいのスケボー少年が4、5人連れだって練習している。ときおり夜警、夜回りの警察が少年に声をかける。べつに騒ぐわけでなし、煙草も酒も飲んでない、いきがっている風でもない。部活動に一生懸命の少年と同じ、どうか見守ってほしいと願う男である。

世の中、ケースバイケース。それでいい。

ときおり、中国人の三世代ファミリーが夜涼みに来ている。幼い子ども、お父さん、お母さん、じいちゃん、ばあちゃん。いいなと思う。日本でもかつて縁側で夕涼み、夜涼みがあった。家の近くのインドカレー屋を営業しているネパール人の夫婦も店先で夜涼みをしている。男もベンチで一呼吸置き、夜涼みが日課になった。

日本はアジア。秩序とカオスが同居していたほうがいい。西欧かぶれもほどほどに。玄関に表札も出さない人間の正論は左から右へ聞き流す。共同体を背負っていない。だが共同体って何だ、わからない。

微笑ましい光景を目にしながらも男の顔は晴れなかった。

プロテストを来週に控えた20代の青年とスパーリングの日々。足が動かない。病後、下半身に重しがない。ヨボヨボだ。一方、青年は今、青春の渦中にいる。そしてセコンドもプロボクサー1年目の若き青年。男は二人の青年の想いをリングで受け止める。突っ込んでくるスタイルの20代の友。パンチ力に頼らず、体幹で交わそうとしても足が動かない。男は下半身のふがいなさに思いを期すと同時に、青年の合格を願い、鉄棒を握るのであった。だが鉄棒を握っている場合ではない。男は走らなければ20代に負ける。いよいよ走らなければならない。

台所にはウイスキーの空き瓶が6本、転がっている。スパーリングのあとは飲まない方がいいが飲むのが習慣になっていた。今日は罪悪感から赤ワイン。去年は家飲みを禁じた男がである。

気ぃ~がぁああっ、狂いそぉお~、やさしい歌が好きで~、あぁぁぁあ。

男はここのところ、ブルーハーツを聴く。当時聴いた甲本のパンク、真島のブルース。

モーリス・ラヴェルの狂気と沸点の瞬間に反転して静の世界に振り子のように引き戻る精神均衡のクラッシック。男のボクシングの原型であった。だが今の自分にはじつはパンクが相応しいのではないか、そんなことを考えていたら瓶が空になった。

自分の試合は遠のいた。あと数回、スパーリングパートナーの役目を果たす。男は立ちはだかる壁なんかではない。気持ちは彼らと同じ。年上扱いしないでほしい。彼は明日は夜勤。夜の長さに負けないでほしい。

男は思うのであった。

金町。

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