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大人の健康遊具⑩「ピンクのベンチ」


横田基地フェンス沿い、福生、ルート16を走り抜け脇道へ、児童公園にしては広い、運動場にしては狭い、ほどよく抜けのよい公園。卸業者の倉庫に囲まれた公園で小休止。近年は宅地化したものの、滑走路の延長に位置する場所だ。 

芝生の先にピンクのベンチ。男は車中に目に飛び込んできたベンチへ歩を進める。落書きを乗り越えた経年変化、地に馴染んだパステルカラー。公園が80年代生まれだからか、またはルート16沿いの雑貨屋、古着屋など、ロードサイドのアメリカンカルチャーを請け負う看板屋のなした技なのか。スクリーンフィクションで見たことがあるかのような既視感であり、その実は初めての対面。

男の目的はわき目に入ってきた懸垂遊具であったが、心はピンクのベンチに奪われた。

一昔前はピンクの電話があった。定食屋やラーメン屋の漫画雑誌が乱雑に積み重なった辺りに置かれた電話。公衆電話の緑より好きであった。

まっピンクは下衆いが(林家ぺー・パー子は例外)、淡いピンクの差し色は時に世間に溶け込む。

ひとしきり物思いが終わると、男は鉄棒を握った。完璧だ。こんなに使い勝手のいい遊具があるだろうか。ぶらさがり健康器がそのまま公園に。何よりピンクのベンチの横に設置したセンス。座る人、ぶらさがる人、並列、同居するシーンが脳裡に浮かぶ。何でもないような場所がロケーション。何でもないようなことが芸術。が、その芸術的現実のワンシーンに出くわすのを待つほどの奇特さは持ち合わせていなかった。待つ、ほど悩ましく哲学的な行為はない。決定的瞬間というのは、内心では待っていたものであろう。「待っていた」を現実化するのに、フィクションは使わず、無為自然に来るか来ないかの出くわすシーンに任せる。そういうことであろう。「待っていた」を増やせばいいのだ。「待ち合わせ」を待つ、偶然に任せる。それがノンフィクション。だがそれは、ピンクのベンチのように淡い期待なのかもしれない。

男は珍しくも息まずに自足していたのだった。

福生、羽村、瑞穂の結界。羽村。

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