昭和19年生まれのジムメイト。51年前のリングイン。エバーラスティング。
ジャグワァー迫田さん、昭和19年生まれの73歳。ジムメイト。
練習時間帯が合うと、私は迫田さんとのおしゃべりを楽しみにしている。
迫田さんは元プロボクサー。
先日、ジムに行くと、おもむろに昔の写真をバックから取り出して見せてくれた。
1966年、51年前の後楽園ホール。
バンタム級、1ラウンドKO勝ちの試合。
「肝心なKOは撮ってないんだよなあ」
「写真ってそんなものですよね」
「このリングインの写真、気に入っているんだ」
「これは文句なしにカッコいいですよ」
「輪島みたいだなあ」
「今言おうと思ったけど、失礼だと思ったから言わなかった。でも迫田さん、輪島さんより前の時代ですよね。三羽烏の時代くらいでしょ」
「うん、そうだねぇ」
この人を見よ。迫田さん。この肉体。この眼(まなこ)。この拳。
迫田さんは、下駄箱前のトレーニング場で、一人黙々と筋トレを行う。60代まではキックボクシング含め、ボクシング大会の試合に参加して、戦ってきたそうだ。今は高齢ゆえ激しいボクシングトレーニングは自制し、筋トレをしにジムに足を運ぶ。
にしてもこのダンベルを軽々と持ち上げる肉体。
金色の地に赤字で「ジャグワァー迫田」のリングネームが入ったトランクスにノースリーブの黒綿シャツ。それが迫田さんのいつものトレーニングスタイル。
哲学。
51年前、現役プロ時代のリングネームは「BM迫田」。
迫田さんは外車輸入販売の商いをなさっていて、車の名前が由来。トレーニングもかかさず、仕事も継続。
継続は力なり。
この構え。この体幹。
尊敬。
この下駄箱前のトレーニング場で、部活動を終えた放課後の高校生のように会話するのが私は好きだ。
迫田さんは、作家・三島由紀夫がつくったラクビークラブに所属し、神宮球場の横の運動場で一緒に練習した時期があったそうだ。
ずっと思っていたことだが、迫田さんは電撃ネットワークの南部虎弾さんに似ている。そう指摘してもわからないだろうし、迫田さんのほうが年上だから失礼かなと思っていたら、51年前の写真と一緒に見せてくれた写真が、電撃ネットワークと一緒にイベントの舞台に上がっている写真。南部さんにそっくりということで、イベントに呼ばれて一緒に舞台に立っているという。電撃ネットワーク、南部さんの横で負けず劣らず、派手な衣装でお客の前に立つ姿。
いつもの私服姿は、ブリティッシュジェントルマンのカジュアルスタイル。ハンチングにマフラー、おしゃれな姿でクラシックカーに乗る。
ほがらかで大らかな迫田さん。
おしゃべりするたびに、少しずつ歴史、驚き、発見、学びを頂いている。
何はさておき、私はこのスマイルが見たいのである。
「こういうのは撮っておかなくちゃね」
最後に下駄箱前でツーショット。
体幹、構え、圧、首、腕、拳、顔、眼力、、、すべてにおいて私はかなわない。
MY AIM IS HIM。
了。
(迫田さんには掲載許可を頂いています。ありがとうございます。)