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【近況報告】親の事、家の事、仕事、事に仕える。

三月中旬、春彼岸の墓参を終えた翌日、父が難病指定の特発性間質性肺炎を発症、急性憎悪に襲われました。

駆け込んだ地元の総合病院から緊急医療機関指定の急性期病院に緊急搬送され、HCUにて集中治療を十日間。自発呼吸ならず人工呼吸器の管を喉に挿入する決断。ステロイド、複数の抗生薬剤を集中投入し、五割を越す致死率、人工呼吸器が外せる可能性二割の瀬戸際の現場で闘病。結果、人工呼吸器を外し一般病棟に移ることができました。

集中治療中に脳梗塞を発症し右半身麻痺。肺の治療とともに脳梗塞の治療、身体麻痺のリハビリも呼吸器への負荷をみながら始まり、極度の心身衰弱からの回復を少しずつ図っています。

依然として病状は急性期のままですが、難病指定の届け出、介護保険の申請、リハビリ回復期病院への転院の備え、在宅介護を念頭にした実家の片付け、リフォーム準備など、医師、ソーシャルワーカー、市役所(高齢福祉課)、社会福祉センター(障害福祉課)、地域包括支援センター、介護支援専門員など、関係各所と面談し、再発、悪化の可能性と向き合う緊張の中で日常復帰の希望を持ち、老母、兄妹で協力して段取りを組んでいます。

皆様に置かれましても、自身、父母、家族、近しい方が病床にある方もいるかと存じます。また親を亡くされた方、看取られた方、介護中の方、若しくは身寄りのない方、遠くに在りて思う方、おられると存じます。親が在る有り難みを深く思います。

2/3段** * ** * ** * ** * ** * ** * ******** 

人工呼吸器をつける家族一同の決断。挿入前の最後の面会。外せてまた会話が交わせた瞬間。忘れません。

搬入から遅れること六時間、夜、駆け付ける。乱れる呼吸、対し淡々と進む時計の針。病状を知ってか知らずか気丈な父の素振り。動かしがたい事実の直面、医師の宣告、先送り出来ない事態を突き付けられる普段の曖昧な自我。迫り来る期限、迫られる選択、後戻り出来ない承諾、決断する意思、初対面の医師に預けた命運。時間と命とが背中合わせになった緊迫の狭間で、命と実存在との別離の岐路を目の当たりにし、限られた情報の中で確信なく疑心暗鬼と闘いながら、一つの道を決断するそのこと自体におののきながら踏み出した決定的な一歩。人工呼吸器挿入。その足下では人間心理の深淵に潜りながらも、奈落に落ちぬよう気を確かに精神性を保ち、光が差すのを強く祈るのみ。事の重大さに慈悲のない時間の進行、即座に一身に受け止めがたき実存在の喪失の危機。意識、呼吸、脈が不安定ながらも繋ぎ止める命。本人以外は計りがたき命の光明。不確かな命運を前に先祖を頼みとする信心。仏壇に神棚に、前日の父の体調異変に鈍感であった自分、昨年引退したにも関わらず仕事を続けた父を止めなかった業深き長男の己を悔い、祖父母の老後に尽くした父に助力を請う。

親を喪うことほど怖いものはありません。

父の命の灯火は強く我々家族をこれからも照らし続けると信じます。長男として家を継ぐ。職人として家業を継がずに父一代で廃業。自前の職業に日常を捧げる身に家を継げるのか。家を継ぐとは、朝起きたら仏前に茶や水、ご飯を上げ、神棚の榊器の水を替え、植木、盆栽、草花、野菜に水をやり、草をむしり、万事雑事に仕えることであり、かつ大黒柱となること。実家の「実」を生かすこと。家を継ぐというよりかは、親が裸一貫で築いた日々の世界観を壊したくない一心が正確かもしれず、又、がしかし、これ然るべくして引き継ぐ習わしに相違なし。父が集めた幾多もの草木、野花。四季折々の雑多混沌の緑、水やりに新緑の生気を感じつつ、改めて「実」の態を実感します。

3/3段** * ** * ** * ** * ** * ** * ******** 

人生と日常の相関関数が分かれば、今という基点を悔いなく生きられると思うも、分からないのが人の「生」で在り、分からないのが人の「死」で在る。また想定しうる人生折々の変数も、その場になれば想像を遥かに超えるのが世の理。ならば寿命を信じ、日常に仕える。親の事、家の事、そして仕事、事に仕える。仕える対象がある、是則ち幸せであると超認知。

撮影、実家、ボクシングの鼎立、則ち仕事、親、健康の有り難みを感じつつ、これまで以上に立ち止まらず、静的均衡の幻想と一線を画し、過剰中無、動的平衡で参ります。

深夜、習慣化し、目的意識を持ち、打ち込んできたボクシングは一旦中止。オヤジファイトに向けた四年間の練習は紛れもなく純化した本気であり、自身の歴史に確かに打てる楔と自負しています。その内実は自己都合でカンマ、ピリオドが打てないのが人生。人生と日常。精神の在処でいえば、どちらが平時でどちらが有事か、両者が目まぐるしく交差し逼迫する日々ではわからなくなるもの。又、性根を据えると根を詰めるは表裏一枚の板。その板の上で平事は続き、超認知は既知化し、終わりがあるはずの日常が、再び終わりなき日常に取り込まれるジレンマ。人間の生理と心理とが混濁した起伏、我(が)、業(ごう)、性(さが)といった人間感情の表出、その理解と尊重のもとで心労が蓄積する疲労感。日々是限界値超えを目指すミット打ちはあらゆる邪念を蕩尽するものであり、今こそ必要とするものですが、気持ちを切り替えます。隙間時間に自主練をし引き続きボクシングを継続して行く所存です。同様、自ら選んだ関心領域の文化活動も更に自覚、継続していきます。

各方面の皆様に置かれましても、各々様々な家の事情、状況に在ることと存じます。喜怒哀楽の先に人間感情の深淵あり。そういうものを引き受けていく方の姿に接したとき、何かしら共感し励まされる。そういうもので私も在りたいと痛切に感じています。

追記** * ** * ** * ** * ** * ** * **********

集中治療室の看護師の女性が、人工呼吸器が外れた翌日、早咲きの桜が満開であった病院の裏手に父を車椅子に乗せて連れ出してくれる。その看護師たちと先日、廊下で合う。会釈し会話、一般病棟に移った父の容体を気にかけてくれる。人の情けの有り難さ。

そして老母、団結してくれる妹たち、その家族、見舞う親戚に感謝。

以上

永井浩

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