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93歳のピアニスト、メナヘム・プレスラーのショパンの遺作ノクターン。老骨に残りし花。ピアノリサイタル.2017.10.16.



瞬間、ホールが音に吸い込まれた。



万雷の拍手、スタンディングオベーション。


舞台中央に戻ってきたプレスラー翁。アンコール。付き添われてゆっくりと椅子に着座すると、客席のざわつきもおさまらないうちに両手を鍵盤に降り下ろすかのように弾き始めた。息を飲む間もなかった。音が響いた瞬間、ホール全体の空気が潔く凛としたその一音に吸い込まれた。


観念や言葉は置き去りにされた。心が浮き上がり、宙吊りになったような驚きと戸惑い、震えがない交ぜにやってきた瞬間、すぐさま凝り固まったものが言い様のない安らかな温かさに包まれ、「ここ」とは異なる世界にいざなわれた。


ショパン遺作、ノクターン。


「なんて美しいんだろう」。

目をそっと閉じるのが精いっぱいだった。



メロディが奏でられると、閉じたまぶたの裏で瞳が震え潤んでいくのがわかった。


甘美でもロマンティックでも、もの悲しさでも憂いでもなかった。覚悟でも悲壮でもない。回顧でも老熟でも、別れでも永遠でも。もたらされるものが至福かといえばそれも違った。宗教的な愛、そういった仰々しいものでもない。形容を探す行為は無駄だった。修飾は愚かだった。情操、ましてや想いの仮託はいらなかった。もはや観念の世界ではなかった。


額に手をあてる。このままずっと目を閉じていたい。淡々と切々、清らかで安らかな音色にずっと感応していたかった。



老骨に残りし花。


プログラムで、音楽に全身全霊を傾け、魂をぶつけたあとのアンコール。最終部を迎えると、私はそっと目を開いた。そこには在るがままの老匠がいた。どこかへ帰っていくかのような、漆黒へ消え入るようなエンディング。すべてを包容するかのような、潤いの魂の音粒が、最後の最後まで、ほのかにきらめきながら無の世界へと消え入っていく。そして老匠は静かにそのときを迎え入れるかのように、最後の一音に指を置いた。


明鏡止「音」。私はそう思った。


老匠とピアノ、どこまでも美しい光景があった。




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2階P4列8番。パイプオルガンを背にした舞台後方の席。プレスラー翁の姿を間近に斜め上から俯瞰する席だった。ちょうど翁が自然に顔をあげた視線の先に私の席があった。翁は付き添われて着座すると、弾く前にこちらになんとも言えない挨拶の笑みをみせた。私は隣席の男につられて手を振った。プログラムを前に幸せな気分だった。


最初の曲は、ヘンデル:シャコンヌ ト長調HWV435。


晴れやかさと哀切、激情が凝縮された変奏曲。低音主題の力強い生命力を根底に、歓喜のアリアと深く潜るような祈りとが交差しながら、感情が一気に引き寄せられて盛り上がっていく。プレスラー翁の聴衆を出迎える気持ちが伝わってくる。私はこの曲を始めて耳にした。バッハのゴルトベルク変奏曲を想起した。バロック時代は変奏曲が流行したそうだが、バッハは、このヘンデルの10分ほどの凝縮されたシャコンヌの世界観を下敷きに、1時間強の大作を作曲したのではないか、そんなことを思う。


弾き終えたプレスラーは、両の手のひらを軽く握り、両肘を軽く胸に引き寄せる仕草をみせた。「よし、やれる」。心の声が聴こえた。


そしてプログラムの核ともいえる曲へ。

モーツァルト:幻想曲 ハ短調K475

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調K457

対となっている名作の演奏。



「闘っている!」


指の腹を魂を込めて鍵盤にのせていた。譜面に大きなまなこを近づけ、ペダルを力強く踏みしめていた。前日のリハーサルではその譜面に奏法を鉛筆で書き込んでいたという。集中していた。その形相は闘いそのものだった。抒情と技巧とを鍵盤に魂をぶつけて昇華しようというアティテュード。その姿に私は釘付けになった。



私がプレスラーのピアノに惹かれたきっかけは、2014年のベルリン・フィルにソリストとして招かれたニューイヤーコンサート、イブコンサートだった。90歳当時の翁の音色は、清らかな瑞々しさとともに、生涯現役を感じさせる躍動と生命力に溢れていた。


1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに逃れたイスラエルで音楽教育を受け、大戦後の46年、米国サンフランシスコのドビュッシー国際コンクールで優勝し、ピアニストとしてのキャリアをスタート。五十年以上、「ボザール・トリオ」という室内楽アンサンブルトリオで活動し、70歳を超えてからソリストとして交響楽団に招かれるようになったという。私はそのキャリアを語る術をもたないが、2015年、41歳を迎えようとしている私に、プレスラーの音色は、表現というものの最終的な指針を与えてくれた。


昨年は体調不良で来日がキャンセルになり、もう観られないかと思っていた。だが老体を押してやってきてくれた。生で聴けるチャンス。私は心待ちにしていた。


私がピアノの大屋根の裏側にいたこともあるだろう。指の力が弱まっているのか。もったりとして、もやった低音部の響きに、その懸命さと裏腹に翁の老いが際立って胸に迫ってくるものがあった。一音一音、確かめるように弾いていたと言ったらいいだろうか。3年前に出合った生気は薄らいでいた。しかし、その代わり、この上ない音楽へのひたむきな懸命さが目の前にあった。プレスラー翁自身もその衰えは自ら承知であろう。そんなことは問題ではなかった。聴衆はそのすべての感情を音に込めようと、自らの魂と格闘している翁の姿を見守っていた。抒情と技巧とを魂で結びつけようとしているかのようであった。


何かのインタビューでプレスラーは答えていた。

「演奏会というのは、自分が楽器を弾けるのだと証明するための場では決してありません。自分の音楽に対する愛情を表現する場なのです」


私は、この平たくも真理をついた回答を思い出していた。「我」がままの先の「在る」がままの姿があった。一心に弾く姿。途切れぬ緊張と集中。魂の気魄。本当は見守るなんておこがましいかもしれない。私たちはそのアティテュードから何かを確実に伝えられ、教わっていた。


演奏が終わると一気に脱力した翁がいた。否、やり遂げた男がいた。




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仲入り後は印象派の世界。


ドビュッシー:『前奏曲集第1集』

「デルフィの舞姫たち」「帆」「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」「ミンストレル」

レントより遅く



力強いインプレッションだった。


印象派の演奏に時折つきまとう客観的な美意識や、洒脱やけだるさといった、雰囲気を醸し出すがゆえの美学が先行する技巧的表現、そういうものとは一切無縁だった。生気が漲っていた。その「気」が乗り移った鍵盤だった。気魄漲る低音部のインプレッションと対比され、軽やかな音色がいっそうきれいに心に流れ込んできた。「沈める寺」から「レントより遅く」そして「夢」へ。「夢」の色彩はどこまでも優しさと慰めに満ちていた。気魄漲るインプレッションのあとの音の色彩。心が慰撫されていく。こんな穏やかで清らかな色彩の「夢」は聴いたことがなかった。抽象表現としての夢幻の表現ではなかった。今ここにいることを確かに感じつつ、そこに確かな終止符を打つかのような、どこまでも淡く丸みを帯び、それでいて澄んでいるきれいな音色。いつまでもこの音色を反芻していたい、終わらないでほしい、そう願う美しさ。美しさは消え入り、願いだけがいつまでも心に刻印された。



最後はショパン。

マズルカ第25番 ロ短調op.33-4

マズルカ第38番 嬰ヘ短調 op.59-3

マズルカ第45番 イ短調 op.67-4

バラード第3番 変イ長調 op.47



淡々とした詩情だった。何か解放されたかのような気持ちになった。プレスラー自身もそのように見えた。なぜだか切ない気持ちになった。マズルカからバラードに移ると、最後の最後、渾身の力を振り絞り、余すところなく精いっぱいの力でもってプログラムを締め括ろうとする姿があった。そこにはプログラム前半の闘っている姿はなかった。一心不乱な姿に放心した。私は今、プレスラーのような渾身の力を表現するようなものと向き合っているだろうか。尊敬の念が湧き上がり、胸いっぱいに思いが広がっていった。




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ショパンの遺作ノクターン。そのアンコールのあと、感動の熱を帯びた割れんばかりの拍手はいつまでも続いた。


永遠に続くかのような敬意。聴衆の尊敬のまなざしを一身に受けたプレスラー翁の少年のようなはにかみにも見えるピュアな微笑みが忘れられない。翁は胸に手を押し当て、その手を何度も聴衆に広げてみせた。名残惜しそうな愛があった。まるで自らのピアノ人生に終止符を打つかのような、それを悟ったような、そんな愛おしさがホールを包み込んだ。


聴衆の敬意に応え、再びのアンコール。着座した老匠は今度は少し間をあけ、感極まっているようにも見えた。


ドビュッシーの「月の光」。


別れを告げるかのような演奏だった。どこまでも淡々としていた。ミスタッチもあったように感じたが、そんなことはどうでもよかった。


私はクラウディオ・アラウが90歳の頃に弾いた「月の光」を想起した。人生をゆったりと走馬灯のように振り返るかのように弾き、真珠が水面にこぼれるような音色を残していった。メナヘム・プレスラーの「月の光」は、その先の彼岸、淡々とした美しさのように思えた。もう何物にもとらわれていなかった。花は散った。月も欠けた。それでもその時々で花は花、月は月の美しさがある。弾いているだけで美しかった。


花残りし月。


私はこの日、人生の最終美に立ち会った。


演奏を終えると、こちらを見上げ、うんうんと、頷くように挨拶をした。私もうんうんと、頷き返した。そうだ、うんうんでいいんだ。うんうんなんだ。あの微笑みは忘れない。



ホールの外に出ると、冷たい雨が降っていた。

月の光がさっそく恋しくなった。











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