カティア・ブニアティシヴィリの「狂詩曲と月の光」ふたりの視覚障害の観客と共感 2017.11.06.ピアノ・リサイタル、サントリーホール
ジョージア(旧グルジア)出身のピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリのピアノリサイタルに足を運ぶ。
彼女の音に惹かれたのは、バッハのカンタータ「羊は安らかに草を食みBWV208」のピアノ編曲を聴いたことにあった。このカンタータ、ピアノ曲として演奏される、そのことが少ない。私はこのカンタータのピアノ編曲が好きだ。
https://www.youtube.com/watch?v=LKa5s-1kD8Q
情感があるがナルシスティックでなく、技巧があるが角が立たない。
艶があるが凛としている。一聴で彼女の演奏を探求し始めることになった。
容姿はグラマラス。肩が出て胸元のあいたドレスから胸が零れ落ちるかのように演奏する。
私が坐した席は2階、ピアノと大屋根の合間から、たわわな胸が揺れるのをまっすぐに捉える席であった。翌日、皇太子夫妻はボストン交響楽団のコンサートに私が坐した数席横に坐して鑑賞した。鍵盤に触れる手こそ見えないが、ピアニストの表情を真正面から捉えられる良い席。たわわな胸は確信犯。だが私は終始、目をつぶって演奏を聴いた。隣の観客にならった。
秀逸はリスト、スペイン狂詩曲。
力強く熱狂的で熱情的な演奏だった。
ぐわんぐわん、縦横無尽に鍵盤の上を指が走る。
らせん状の階段をヘッドバンキングしながら駆け上がるような演奏。
胸を鷲づかみにされ離れられない舞曲、心の持っていかれようが無抵抗であった。
鍵盤を這う生き物のような指使い、
情と理、ナルシズムとリリシズムが、緊張関係の中で結合した凄みのある演奏だった。
続く、リスト(ホロヴィッツ編曲)ハンガリー狂詩曲第2番も素晴らしかった。
ホロヴィッツ編曲ゆえの曲の華やかさよりは、彼女の熱情が出た演奏で、
曲との相性は、断然、スペイン狂詩曲であった。
アンコールは佳曲。4回のアンコール。
彼女の観客からの愛されようがわかる。鳴りやまない拍手。
4回というのは心からの客席の意志表示。
最初のドビュッシーの「月の光」。
艶、凛々しさ、情感、端正、乙女、、、。そして躍動的な本プログラムから一転した佳曲の静謐さ。バッハのカンタータ「羊は安らかに草を食みBWV208」の音ざわりと同じ、音そのもの自体の美しさが、素直に心に染み入ってきた。
終演後、隣席だった盲目の痩身の50手前くらいの男性と会話した。
鑑賞仲間かヘルパーか、彼を連れてきた友人が離れた席から迎いに来た。
グレーのスーツに白シャツ、ノータイ姿。
俳優・寺尾聡と芸人・カラテカの矢部太郎を混ぜたような存在感。
彼は前方やや上方向へ視線をやりながら、終始一貫、前傾姿勢で傾聴していた。
私はブニアティシヴィリの演奏もであるが、彼の姿にその実、心を奪われていた。
彼と出迎えた友人の会話に入るかたちで言葉を投げかける。
「良かったですね」
「ええ、良かったです。最高です。彼女は今一番じゃないですかね」
「情感はあるのにナルシズムに走らない。テクニックもこれみよがしでない。気にしているところがすばらしいですね」
「そう!ほんとにそう。今日は来てよかった。彼女は今一番、とにかく最高でした。うん、うん、最高。」
ステッキを手に、遠いまなざしで強くうなずき、彼が言う。本当に心に届くよい音なのだと思えた。
ホールを出る。地下楽屋口の彼女との面会の列に並ぶ。再び地上ホール前に。
すると、彼女の写真とプログラムが大写しになっている電飾パネルを前に悪戦苦闘していた70手前くらいの女性がスマートホンを片手に記念写真撮影を依頼してきた。快く撮影。逆光気味になる電飾パネル、ポジションを変え撮影、本人の顔も影でつぶれない。喜んでいただく。
「良い演奏でしたよね」
「ほんとにそう。来たかいがあったわ」
「情熱的で情感があるけれど、変にナルシスティックでなくて、テクニックもこれみよがしに走り過ぎていなく、心がすっと素直に寄り添えますね」
「やっぱり!そう思います?彼女、容姿がきれいだけれど、そうじゃないのよ。私は若いころのアルゲリッチを意識しているのかなと思うけど、でも彼女は彼女よね。私、涙が出ちゃって、素晴らしい演奏だったわ」
「超絶技巧とかで自己満足している秀才とは違いますね。天衣無縫、というのがキャッチフレーズになっていますが、己があるのに自由で、自我の頃合いがいいですね」
「そうそう!私は、初めて会う方にこんなこと言うのもあれなんですけども、先週、緑内障の手術をしたばかりなの。目が悪くて。だから、余計にうれしくて、、、。ごめんなさいね。あっ、いけない。鑑賞のあとのおしゃべりは禁物ね。こういうのはそっと持って帰らなくちゃね」
「そうですね、こちらこそすいません。でも思いを共有できてよかったです」
「夜遅くなったのに引き留めちゃってすいませんでした。ありがとうございました。ではお気をつけて」
「ではでは」
今度は緑内障の独りで鑑賞にきていた老女と感動を共有した。鑑賞後のおしゃべりが過ぎるのは禁物、同じ思いであった。かといって、独り身の客同士、ふとしたことで思いを共有できたことは、鑑賞の証となる。
視覚障害のある二人とのかいごう。
カティア・ブニアティシヴィリの演奏は、グラマラスな容姿やイメージ、また若きゆえの自我、そういうものに幻惑されず、本質的にいいものはいいのだ、そう確信して帰路につく。
二人との会話が、彼女の演奏をより一層、忘れられないものにしてくれた。
(電飾パネルはプログラム変更前。こちらが当日の演奏プログラム)
ドビュッシー「月の光」
https://www.youtube.com/watch?v=DBl2ClXzt3U
10月、94歳のメナヘム・プレスラーの「月の光」、
11月、カティア・ブニアティシヴィリの「月の光」。
老骨に残りし月、凛々しくも乙女らしく潤う月、
秋の日の月の光のインプレッション、二つ。
(了)
(追記)
ブニアティシヴィリの最新の演奏動画。
チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番第3楽章。
12月18日、フランスのテレビ3チャンネルで放映されたFauteuilsdorchesutre(シートオケースラ、座りながらの演奏会という意味か)という音楽祭にて。自由な形式が合っている。オーケストラに合わせるでなく、かといい破綻放逸の一歩手前ギリギリの線で楽しんでいるように思える。
https://twitter.com/France3tv/status/942828073417711616
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