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天海鈍青。時折り鴎鳴く大間埼、津軽海峡冬景色。




八戸駅から二時間、在来線ワンマン車を乗り継ぐとそこは雪國であった。



下北駅。夜七時を過ぎていた。

ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」が浮かぶ。さながら北へ急ぐ人。



降り際に4人掛けの対面座席、両足を座面にあげて足を伸ばし、両手でさすっている初老の女性と目があった。母が浮かぶ。向かいには中年に差し掛かった娘。対面は足もとが窮屈。遠路は足もむくむ。次が終点、大湊駅。下北から八戸か青森か、街に出た帰りか。点在する乗客の誰もがスマホをのぞき込む中、大らかだった時代の光景に出くわした。



下北半島は会津藩が戊辰戦争後に移封された領地。会津藩の大方1万7千人が移り住んだ。石高は3万とも7千ともいわれ困窮を極めたという。斗南藩。南部、津軽とまた異なる土地柄という。移封の足跡が残るのか。宿へのタクシー車中、運転手に尋ねる。気のない返事。会津由来の民がすべてではない。



むつ市街を一望で高台のホテル。夜景がほどよく綺麗な町。斗南温泉が併設されていた。ロビーには簡素だが鏡餅とりんご、地酒の関之井のお供え飾り。この日は2月5日、旧正月。旧暦が生きていた。






翌日は下北半島の最奥、本州最北端、大間崎へ向かった。夜中に降り始めた雪は朝方には小雨に変わって傘をさすほどではなくなっていた。むつ市内から一時間弱、鮪の一本釣りの漁師町。大間の鮪は今年の初競りで三億円を超えたという。


天海鈍青。


人影のない冬景色、時折りに鴎が甲高く鳴く。目を凝らすと本州最北端の碑にぽつんと留まっている。その下には鮪とそれを釣り上げる漁師の太い腕のモニュメント。身体が芯から冷え込む風が吹くが、穏やかな海面。小さな漁船が二船帰港中であった。コトコトと心地よいエンジン音、対岸には函館がぼんやりと浮かぶ。津軽海峡。東京でついた三億の値が風に吹かれる侘しい風景が目の前に広がっていた。


海沿いの漁師店にて昼食。鮪丼。同行の地元の青年がいう。


「俺、大間にいて初めて来ました」 「私も初めて。大間の鮪はやっぱり普通は地元の人でもお目にかからないんですね」 「はい、初めて食べます」 「ずっと大間ですか」 「仙台に行ってたことがあります。多賀城さ、自衛隊に勤務してました」 「私のいとこの旦那も自衛隊で、震災当時、多賀城駐屯地にいたそうですよ」 「何言ってるかわからないって馬鹿にされました。言葉がわからないって」 「それはお互い様です」


ぶつ切りな会話に体温があった。店を出る前、顔馴染みであるだろう女将に話しかける。


「俺、今日、大間にいて初めてここで食べました」 「あらそう」


初々しい青年の律儀さに大間の土地柄を感じる。


むつ市の海沿い、核燃料廃棄物の中間貯蔵施設が建設されていた。原発敷地外に作られた。自治体は申請、許可を待つ。福井やフランスが運び込みを要請している。大間の帰路、隣の東通村では原発のほかに白い巨塔、風力発電が海沿いを車で走ると次々と目に飛び込んできた。六ヶ所村には杉林に囲まれた核燃料廃棄物再処理工場。横目に帰路、高速道を急ぐ。地場産業よりも公共事業、国のエネルギー政策に左右される半島。ぶつ切りのニュース現場、その地理関係を肌で把握した日程であった。



七戸十和田駅で新幹線に乗車。


海風で斜めに傾く細長いひょろひょろとした黒松林、無機質な中間貯蔵施設、鈍色と灰色のどんよりとした脳裡の景色の中で、鮪の赤身だけが瞼の中で色彩を放っていた。






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