立てば芍薬座れば牡丹、いずれ菖蒲か杜若
実家の芍薬が咲いた。
山に咲いた薄紫の花菖蒲と。
山の畑では菖蒲(あやめ)が咲き始めた。
菖蒲の群生は見とれる。
菖蒲、芍薬、ともに咲き始めた都忘れを仏前にそなえる。
小さく楚々とした薄紫の都忘れもいい。
菖蒲と射干と都忘れ。
この取り合わせもよい。
芍薬の蕾はまんまるで味わいがある。
葉陰に並ぶ真白きすずらん。都忘れと。
真白き大輪の牡丹。
仏前に。
母方の田舎、福島県須賀川に中学生のときに列車一人旅で行った際、東洋一の須賀川牡丹園にて土産に買ってきたもの。
以来、毎年咲いて三十有余年。
有り難き花。
三郷で借りている月極駐車場、次々と建売住宅の敷地になり、昨年末に三つめの駐車場に。横が大家の家で、直接、月末に借賃を収めに行っている。
父と同齢ほどの大家。
門扉脇の花壇の牡丹と花菖蒲が咲き誇り、「見事ですね」と話しかける。
「持っていく?」、剪定ばさみを持ってきて、切り花を頂く。
聞いてみれば牡丹でなく芍薬。内側の花弁が赤紫にふちどられているのが洒落ている。
花菖蒲は味わい深い渋みである。
秋は鑑賞菊も育てあげている。
借賃を収めて半年、触れ合いに春を感じる。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
そのような女性に巡り会うこともないが、言葉の本意は身にしみて分かり始める。
いずれ菖蒲か杜若。アヤメ科の花々にぞっこん。
山の畑の腐った柿の木の幹からコクワガタのメスが出てきた。
持ち帰り、甥にやる。
喜ぶ。手で触れあう。
住まいはそのまま腐った柿の木。
冬越えのさやえんどうが収穫を迎えた。
目を凝らすと、山では南高梅が実り始めた。幹の肌合いと同化している様がいい。
こでまりも。
ブルーベリーの花も。
アスパラガスは生育がはやく、時期を逃すとあっという間に背が高く、固くなっている。
山の畑、借りている段々畑もいよいよ始動。
耕耘機で土づくり。
冬越えのにんにくだけ残し、土を耕す。
足腰を鍛える。何度でも何回でも耕す。
どれほどやればいい土ができるか、経験値を積む。
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