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先見の哲学は二十年後に世間に現れる


法政大学多摩キャンパスは森の中に浮かぶ。四方が緑。津久井湖、高尾山にほど近く、夜は闇と想像がつく。

湯浅さんの研究室、構内にて撮影する。

書棚には丸山真男や橋川文三ら政治学者の本が並ぶ。大学時代、日本政治思想史専攻だったからだろう。私も同じ学問だった。つい背表紙を目で追う。

湯浅さんはその後、自立支援のNPO「もやい」を立ち上げ野宿者の援助、社会復帰を支援し、社会活動家として貧困問題に取り組む。

「もやい」の活動が知れ渡った2009年、同じく角川新書『正社員が没落する』という対談本で撮影。以来の撮影となる。その間に湯浅さんはリーマンショックによる世界経済不況の世相に「年越し派遣村」を日比谷公園で開く。その後、民主党政権で内閣府参与を2年余り務める。そして今、支援現場を離れ、法政大学現代福祉学部教授。教育者、研究者に就き、専門家として発言を続けている。

面構えがシャープで一見厳しそうだが、議論の耐性があり、会話を保つ力がある印象を受けた。ソファの上で胡座、座禅を組むかのように座り、対談に集中してのぞんでいる姿を覚えている。民間企業のNPO支援を集め、官僚と共通コードを持ち、政治家の懐に入る。現場から民間、行政をつなぐ挑戦に終止符を打ち、アカデミズムに入った今、次の方法論はどんなものなのか。

2009年の格好は無地のロングTシャツにジーパン、スニーカー。ラフであった。今はカラーYシャツにスラックス、革靴。カジュアルフォーマルである。眼鏡も縁の細い面の小さい秀才型から、縁のある面の広い余裕を感じさせる型に。先鋭的な印象が洗練をまとった変化。次のステージを意図しているのだろう。

NPO法人代表や社会企業家は節目を迎えているのか。

私は、大学時代に3つのゼミに所属した。1995年当時、その一つが学外から招かれていた倫理学者の川本隆史氏のゼミであった。テキストは政治哲学者ジョン・ロールズの「正義論」と厚生経済学者アマルティア・センの「合理的な愚か者ー経済学倫理学的探究」。のちにアマルティア・センは金融工学の受賞者が続いたあと、「人間の安全保障」が評価されノーベル経済学賞を受賞する。ロールズは政治哲学者マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」「本当の正義の話をしよう」で日本を含め、世界中で一般に知られるようになった。

学部生は私一人、川本氏と政治学者の大川正彦氏の三人のゼミ、申し込む人もいないゼミであった。両者ともロールズ、センにいち早く着目した学者。二人の学問的対話の時間に私が紛れ込んだかのようであったが、学部生は私だ。とにかく発言するという行為で食らいついた。思えば狭い世界を意識し過ぎたかもしれない。狭い世界だが先端であった。今はそこに身を置いたことを肯定していいのだと感じている。

先見の哲学は二十年後に世間に現れる。

湯浅さんが支援活動を開始したのも95年。湯浅さんもおそらく大学院で、この政治哲学や厚生経済学に触れていただろう。そのうえで机上の人にならず実践に身を投じた。私の6つ上だが、当時、周囲に彼がいたら感化されただろうか。

貧困の議論の対象が野宿者、非正社員化、派遣労働から子どもへ。

時代が変化しているのか、世相が移ろいゆくだけなのか。潮流か、無策か。

政治は予算分配に注目が続くが、本来は所得再分配であった。

いたずらに過ぎたのか、こんなものなのか。過ぎゆく時間の早さ。時間軸の射程について考えさせられる撮影となった。

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