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第44回 古今亭菊之丞,文菊,柳亭こみちの根多おろし 「菊之丞の星野屋、文菊の百年目」本所はなし亭



第44回本所はなし亭。


古今亭菊之丞、文菊、柳亭こみちの根多おろしの会。勉強会。


菊之丞は放映が始まったNHK大河ドラマ「いだてん」の古今亭志ん生の落語指導、監修を行っている。私は菊之丞で落語の世界に入った。この五年、菊之丞に育てて頂いている。昨年まで毎月開かれた船橋・大念寺の年々寄席は、菊之丞の会だった。通い、いろんな噺の芸を観た。今年も上野鈴本の正月初席のトリであったが見逃す。本年は初。


菊之丞の落語は地金がある。

その地金に魅了される。



菊之丞「星野屋」


男と女の騙しあい。



金持ちの旦那、星野屋。妾の家に行けば膝枕で白髪を抜かれ、女房には黒髪を抜かれ、女房と妾の板挟み。小気味いい江戸前のテンポで噺の世界にすっと入る。



板挟みから、妾のお花と三十両の手切れ話のはずが、二人で大川への身投げ話へ。手切れするくらいなら死のう、吾妻橋から身投げしてともに死ぬという。

川の深さで愛の深さを確かめる、はずが、旦那に続き飛び込まなかったお花。翌日、母と暮らすお花の家、重吉がびしょ濡れになった旦那の幽霊が出たとやってくる。


重吉の話に恐ろしくなり、思うところがあるといきさつを話し相談するお花。

そりゃあ、尼になって詫びるしかないと重吉。

奥の間で髪を切ってきたお花は頭巾を被り、切った黒髪を差し出す。

すると背後から「重吉は怪談噺がうまい」と旦那が現れる。

心中し損ねた心中、いかに。

お花の本心を知るために旦那が重吉と組んだ芝居であった。

そもそも身投げ自体、お花を試す芝居。

それを聞いたお花、頭巾をぬぐと髪は元通り。

かもじ、添髪を切っただけと開き直る。


恋が重いのか、金が重いのか、一途なのかしたたかなのか、男と女の騙しあい。

二転三転、丁々発止の騙しあいも最後、

重吉に手切れ金の三十両は贋金と言われ、投げつけるお花。

投げつけけたところ、実は本物だときて悔しがるお花。

旦那、重吉の帰りをみてお花の母親、三両かすめておいたと胸元に手をやったところで幕が下りる。


女一人母一人の悲哀、というより逞しさが感じられた落ちだった。


廓話で妾の設定でなく、茶屋の遊女の設定もあるらしい。

母親と住む妾の家、という設定は、男と女の騙しあいに違った感慨をもたらしている。



既聴感があったのは、菊之丞の「品川心中」を聴いていたからか。男だけが身投げして女がせずに家に戻る展開が同じだ。「星野屋」のほうが後半部の騙しあいの掛け合いが面白い。

お花の女としての器量、力量はどこにあるのか。一途なのかしたたかなのか、計算高いのか母親を一人残したくない事情なのか、女の人物描写はまだら模様。そのまだら模様が噺をいとおかしくする。少し悲哀を匂わせつつが、したたかな逞しさにも効いてくる。滑稽な語り口調に、べらんめえ調の男たちの気が早い、気が短い様、あざといのか奥ゆかしいのか、女の微妙に受け流す様がいい。上下の振りがしっかりしていて場面展開が浮かぶ。




古今亭文菊「百年目」



江戸の船場、大店の噺。


長年の奉公ですっかり店を任された大番頭。定吉、せいぞう、てつどん、まつどん、とんどん、佐平治、と次々と奉公人を呼び出し小言を授ける。


店では堅物で通っているが、それなりに遊び人。

派手な刺繍、京西陣で別誂えの長襦袢に着替えて芸者のもとへ。丁稚のいっぱちを連れ、芸者と屋形船で柳橋から大川にくりでて向島へ花見に出た。誰が見てるとも分からぬと障子を開けぬ用心ぶり。障子を閉めては花見はできぬと芸者。旦那でもない番頭の身、遊びが世間の目に付いてはまずいと番頭。花の匂いで十分と酒を注がせて船座敷で酔いに浸る。


向島につくと土手は満開の桜。思い思いに花見を楽しむ江戸の民。土手にあがりたいと芸者。扇子を逆さに顔を隠せば平気と連れ出され、目隠し芸者追い回し、遊びに興ずる。


それまでの抑えつけていた用心はどこへ、酔いも回り機嫌も最高潮、つかまえてみれば人違い。よりによって旦那様。友人の玄白と花見に来ていた主に抱き着いたのだった。

「長らくご無沙汰しております。お久しぶりでございます」。地面にひれ伏し挨拶、

逃げるように店へと戻る。


文菊のおっとりと飄々とした芸は商人の世界をきれいに描いていた。

奉公の序列世界の上下、律儀な商売、派手な遊びの表裏、羽目を外す装置としての芸者と花見、ハレの日の出来事。

構成がしっかりとして噺の世界に身をゆだねられた。

奉公人のとぼけ具合、番頭の風格、旦那の品性、芸者の慇懃無礼な人をあやつる艶やかさ、旦那の友人・玄白の人格、登場人物が見事に浮き立っていた。



夢なら醒めるが、店へ帰ってみていよいよ現実と青ざめる。仮病をつかって旦那との面接を避けていた番頭、寝ても寝られず気が気でない。翌日、呼び出されついに堪忍して拝顔にあがるとお叱り、嫌みどころか、長年の奉公へのねぎらいと感謝の言葉をもらう。


旦那の語源は何かと問う旦那。突然、いにしえの逸話を話す。


印度のお釈迦様が住んだ国に植わった栴檀(せんだん)の木、その根元に汚い南縁草(なんえんそう)がたいそう生えていて、ぜんぶむしったところ、栴檀の木が枯れた、南縁草は肥やしとなっていた、互いに必要としていたことから「だんなん」「だんな」という言葉が生まれた。


我々の世界も同じようなもの。旦那がとくとくと奉公の世界を語るこの場面、しみじみと聴かせた。ここは或る意味、奉公の世界の小言の最高峰、クライマックスであった。


あれだけの遊びをしたとしても、帳簿に一つの穴もない見事な働きぶり。店をもたせず悪かったと旦那のお言葉。番頭、ただただ頭を下げ拝聴する。


ところでなんで長らくご無沙汰なんて挨拶したのだと旦那、百年目だと思いましてと番頭。



落ちの前の奉公の世界のクライマックスが泣き所。

いい噺。真面目に働こうと江戸の庶民も思ったことだろう。


文菊の芸との最初の出会いは寄席。若いのに老成し過ぎていると思ったが、いつの間にか、目が離せない存在になっていた。夏に聴いた「あくび指南」は風流、若くして最高の至芸に達したようであった。この「百年目」も大川、柳橋が舞台。文菊は大川の魅せ方がうまい。ゆったりとしているが、たっぷりと聴かせる。寄席の寸法、演会の寸法。45分間、どっぷりと商人の世界につかった。







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